大御所のK先生より、翻訳者や翻訳会社にとって重要であると思われる判例を教えて頂きましたので、久々にブログ記事を書いてみました。

東京地裁&知財高裁が、翻訳会社の翻訳の瑕疵等につき損害賠償請求等が認められるか否かを判断した事件です(令和元年6月27日知財高裁判決言渡)。
控訴審 知財高裁 平成30年(ネ)第10087号
原審 東京地裁 平成29年(ワ)第27980号

原告(=翻訳依頼者&控訴人)は、米国特許出願をするために、被告(=翻訳会社&被控訴人)に英訳を依頼しました。原告は、米国出願の直前まで何度も和文明細書等を修正し、その都度、被告に翻訳の修正指示をしていたようですが、最終的には被告が作成した翻訳文にて米国出願がなされました。(判決文を読むと、もっともっと複雑な状況になっていたことも分かります。)当該米国出願につきUSPTOからの拒絶理由通知書を受け取った原告は、被告の英訳文に瑕疵(誤訳、改竄等)があったこと、被告が勝手に出願内容を改変していたのに報告しなかったこと等を理由として、債務不履行等による契約代金返金請求や損害賠償請求を申し立てました。

結論としては、本事件では、原告(=依頼者&控訴人)の請求は棄却され、被告(=翻訳会社&被控訴人)は損害賠償や代金返還はしなくてもよいと判示されました。(Phew!)

この判例をあらゆる事案に直ちに一般化して適用できるわけではありませんが、私たち翻訳者に、色々なヒントを与えてくれているように思います。

(1)取引の形態
まず、私たち翻訳者が日頃おこなっている取引(すなわち、翻訳の依頼を受け、仕事の完了を約し、その仕事に対して依頼者が報酬を支払う形態の取引)は、民法632条の「請負契約」にあたると裁判所は確認しています。(「雇用」や「委任」ではないという点は意外と重要なポイントなのかなと思います。)

(2)債務不履行責任
請負契約では、(場合によっては瑕疵担保責任が生じるケースもあり得るけれども、)翻訳を完成させて納品した場合には、納品をもって債務の履行は完了し、債務不履行の責任は生じない、と判断されています。

『請負契約においては,請負人が仕事を完成して引渡しを行った場合には,その仕事の内容に不備等がある場合には,仕事の目的物に瑕疵があるとして,請負人の担保責任が生じることはあり得ても,これとは別に債務不履行責任が生じることはないと解される。』

(3)瑕疵担保責任
更に、瑕疵担保責任が生じ得る「仕事の目的物の瑕疵」とは、『一般に、仕事の目的物が契約において予定された性状を有しないこと』をいう、と判断されています。そして、この事件では、裁判所は、翻訳の「予定された性状」の解釈として、次のように判示し、結論として被告(=翻訳会社&被控訴人)には瑕疵担保責任はないと判断しています。

『本件契約における翻訳とは,本件特許発明の技術的意義や内容を踏まえた英語として意味が通用するものを作成することを意味しており,本件特許発明の技術的意義や内容をすべて正確に反映し,かつ文法や語彙の誤りがない完璧なものを作成することまでは求められておらず,翻訳における最終的な文章や語句の選択は,控訴人が自己の責任で決定するか,少なくとも被控訴人と相談しつつ決定することが予定されていたものと認められる。』

この事件では、原告が和文原稿をなかなか固めず被告に翻訳の修正を何度も依頼していたり、翻訳文を別のチェッカーにチェックさせると原告が言っていたり、特殊な事情があるので、本判決の解釈を即座にあらゆる翻訳案件に適用できるわけではありませんが、「翻訳のあるべき性状」の一つの指針になるように思います。

(4)誤訳による瑕疵
また、この事件では、「一巡」という原語を「round robin」と訳したことが致命的な誤訳であったと原告は主張していますが、裁判所は以下のように説明し、『「一巡」を「round robin」と翻訳したことは瑕疵には当たらない』と判断しています。

『本件特許発明においては,「一巡」は一つずつ置き換えていくという意味合いで用いられており,総当たり的な意味合いでは用いられていないことから,被控訴人が,総当たりとしての意味を持たせようとして「round robin」を用いたこと(弁論の全趣旨)は適切とはいい難い。しかし,本件特許発明の「一巡」は,「一巡」の一般的な意味である「ひとめぐりすること」(広辞苑第7版)とも異なる独特なものであり,控訴人が適切であるとする「one round」(甲2-1)を用いてもその意味は直ちに明らかになるものとはいえず,前記のように難解な本件明細書の記載を読み込んではじめておおよその意味が理解できるというものであり,発明者でもなく,かつ前記のように厳しい時間的制約等があった中で,被控訴人がその技術的意義や内容を完全に理解してそれを正確に反映した翻訳することは当初より困難であった。』

『「round robin」を含む各文章は理解可能なものであり,かつ「round robin」が…「Abstract」や請求項1にも記載されていて,控訴人としてもその存在について容易に自らの側で確認することができたものであること,甲9には,本件特許発明が詳しく説明されていて,甲9を読めば,「round robin」がどのようなことを意味するのかを把握することも不可能ではないことも踏まえると,それをもって瑕疵に当たるとまでいうことはできない。』

なお、本判決で、知財高裁が、『本件のような特許に関する翻訳』(「パリルートの米国出願用の翻訳」という意味??)では必ずしも常に逐語訳が要求されないと判示しているところも興味深いです。

『本件のような特許に関する翻訳の場合,必ずしも常に逐語訳をすることが要求されているとは認められない…』

(5)報告義務
更に、この事件では、原告(依頼者)は、被告(翻訳会社)に報告義務違反があったとも主張していますが、この点について、裁判所は、『控訴人が主張しているような詳細な報告義務を被控訴人が負っていたとは認められない上,仮に何らかの報告義務があるとしてもその不履行は認められない』『被控訴人は,報告義務を尽くしているものと認められる』と説明し、翻訳会社に報告義務違反はなかった、と判示しています。

判決文を読む限り、被告の翻訳会社は誠意をもって仕事に取り組んでいたように感じられます。一つ一つの仕事に対し誠意をもって取り組んでいきたいものです。